下関市と青島市の友好都市締結記念日
令和6年10月3日
10月3日は下関市と青島市の友好都市締結記念日です。青島市のみならず山東省にとっても、これが初の海外友好都市となったわけですが、今年で45周年を迎えました。
そこで今回は、両市の友好都市締結に至るまでの歴史を辿ってみましょう。
下関市は古くから中国大陸への門戸であったため、中国との交流に対する意識が強く、市議会では両国が国交正常化する前の1968年には日中民間漁業協定の存続についての決議、1971年には日中国交正常化の決議等が行われていました。また国交正常化の翌1973年8月には、全国に先駆けて市議会に日中友好促進議員連盟が結成されるなど、早くから官民一体で日中友好促進に取り組んできました。
そして1974年及び1977年には、第1次、第2次訪中団を派遣し、日中両国の善隣友好を基盤として各分野の交流を深め、両国民の永遠の平和友好に貢献するため、友好都市の締結を中国側に積極的に働きかけてきました。
その後、対中国貿易促進にかかる集貨運動及び日中定期航路開設推進業務等に関連し、友好都市提携の気運が一層高まるなかで、1979年5月9日、廖承志中日友好協会会長(当時)を団長とする「中日友好の船」明華号が下関市に寄港し、廖会長から青島市との友好都市提携について正式な呼びかけがありました。
これを受け、1979年10月3日、青島市友好訪問団が来日し、下関市において友好都市提携の調印式が行われました。
それから45年という節目を迎えた今年、7月に前田晋太郎市長をはじめとする30名の訪問団が青島市を訪問し記念行事を行ったのを皮切りに、両市の間では各種の人的・文化交流イベントが活発に展開されています。
当館としては、この青島市や山東省にとって意義深い下関市との各種交流が今後も色褪せることなく続くことを願うとともに、より多くの地方自治体が日中間の草の根交流に関わることで、両国間の相互信頼関係が深まることを期待しています。
そこで今回は、両市の友好都市締結に至るまでの歴史を辿ってみましょう。
下関市は古くから中国大陸への門戸であったため、中国との交流に対する意識が強く、市議会では両国が国交正常化する前の1968年には日中民間漁業協定の存続についての決議、1971年には日中国交正常化の決議等が行われていました。また国交正常化の翌1973年8月には、全国に先駆けて市議会に日中友好促進議員連盟が結成されるなど、早くから官民一体で日中友好促進に取り組んできました。
そして1974年及び1977年には、第1次、第2次訪中団を派遣し、日中両国の善隣友好を基盤として各分野の交流を深め、両国民の永遠の平和友好に貢献するため、友好都市の締結を中国側に積極的に働きかけてきました。
その後、対中国貿易促進にかかる集貨運動及び日中定期航路開設推進業務等に関連し、友好都市提携の気運が一層高まるなかで、1979年5月9日、廖承志中日友好協会会長(当時)を団長とする「中日友好の船」明華号が下関市に寄港し、廖会長から青島市との友好都市提携について正式な呼びかけがありました。
これを受け、1979年10月3日、青島市友好訪問団が来日し、下関市において友好都市提携の調印式が行われました。
それから45年という節目を迎えた今年、7月に前田晋太郎市長をはじめとする30名の訪問団が青島市を訪問し記念行事を行ったのを皮切りに、両市の間では各種の人的・文化交流イベントが活発に展開されています。
当館としては、この青島市や山東省にとって意義深い下関市との各種交流が今後も色褪せることなく続くことを願うとともに、より多くの地方自治体が日中間の草の根交流に関わることで、両国間の相互信頼関係が深まることを期待しています。
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