徐福の故郷を訪ねて
令和7年3月21日
先日、煙台市を訪問した斎藤総領事は、龍口にある徐福故里に立ち寄りました。秦の始皇帝の命により不老不死の薬を探すため日本へ渡航したとされる徐福の伝説は、日中両国の各地に残っています。中国では江蘇省連雲港市の徐福故里などが代表的ですが、山東省にも青島市の琅琊台とともにこの龍口市の徐福故里が徐福に縁のある場所として有名です。徐福故里はその名のとおり徐福が生まれた場所と言われています(現地では日本への出港地も龍口だと伝承されています)。
徐福故里には「徐公祠」という施設があり、徐福像とともに徐福研究の活動記録などの資料が展示されています。それによると、同地の徐福研究は1990年代から2000年代初頭にかけて盛んに行われ、日本や韓国の徐福研究者とも交流があったようです。日本については、徐福伝説が残る和歌山県新宮市や佐賀県の徐福協会との当時の交流の様子が紹介されています。
徐福は朝鮮半島を経由して日本に渡ったとされ、韓国の済州島にも伝説が残っています。そのため現地では徐福は「日中韓を繋ぐシンボル的存在」として扱われています。そういえば威海市の栄成にある赤山法華院に祭られている遣唐使の円仁僧も同様の扱いを受けていました。まさに地理的に韓国や日本と近い煙台市や威海市ならではのエピソードと言えるでしょう。古代から綿々と続いてきた日中韓の交流の層の厚さが偲ばれます。
徐福故里には「徐公祠」という施設があり、徐福像とともに徐福研究の活動記録などの資料が展示されています。それによると、同地の徐福研究は1990年代から2000年代初頭にかけて盛んに行われ、日本や韓国の徐福研究者とも交流があったようです。日本については、徐福伝説が残る和歌山県新宮市や佐賀県の徐福協会との当時の交流の様子が紹介されています。
徐福は朝鮮半島を経由して日本に渡ったとされ、韓国の済州島にも伝説が残っています。そのため現地では徐福は「日中韓を繋ぐシンボル的存在」として扱われています。そういえば威海市の栄成にある赤山法華院に祭られている遣唐使の円仁僧も同様の扱いを受けていました。まさに地理的に韓国や日本と近い煙台市や威海市ならではのエピソードと言えるでしょう。古代から綿々と続いてきた日中韓の交流の層の厚さが偲ばれます。
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