青島パナソニックの訪問
令和7年8月22日
8月19日、斎藤総領事は西海岸新区にある青島パナソニック (中文:青島松下電子部品 (保税区) 有限公司を1年ぶりに再訪しました。
世界を代表する電機メーカーであるパナソニックは、1987年に北京にテレビのブラウン管工場を建設したのを皮切りに、これまでに中国国内に64か所の製造及び販売拠点を開設し、中国における代表的な日本企業として知られています。
青島工場は1993年に開設され、タッチパネル類、携帯電話やゲーム機器用のスイッチ類、カースイッチ類を製造し、中国市場や海外向けに供給しています。スマホの押しボタンのスイッチに関しては、世界シェアの半分以上を占めるなど、私たちの身近なところでも大きな存在感を示しています。
パナソニックの中国事業は、日本企業としては珍しく思いきった「自主自立」を企業方針にしている点が特徴 です。技術開発から金型、製品の製造まで一貫した生産体制を確立すると ともに、中国のスピード感で判断できる現地裁量権を有することで、コロナ後も安定した利益率アップを実現しています。
現在、青島工場では一部の製造部門の他地域への移管を含む事業再編を行う一方で、導電性透明フィルム(商標名: Fine X)という新技術の二ーズ開発が進められています。この技術は既に、スキー用ゴーグルの曇り止めなどに実用化されていますが、世界的にはまだ開発の初期段階にあるとのことで、将来的には様々な分野への応用が期待されています。
ビッグネームに甘んじることなく、社員を大切にしつつ、人々の更に豊か な暮らしに向けて邁進を続けるその姿は、まさに「企業は社会の公器」と唱えた創業者・松下幸之助氏の経営理念を体現していると言えます。日本と当地の経済交流を深める上でも、その実践の様子を身近に実感することができ、大変有意義な経験となりました。青島パナソニックが今後も、日中経済交流のあるべき方向性を示す灯台役として、大きな存在感を示し続けてくれることを期待しています。



世界を代表する電機メーカーであるパナソニックは、1987年に北京にテレビのブラウン管工場を建設したのを皮切りに、これまでに中国国内に64か所の製造及び販売拠点を開設し、中国における代表的な日本企業として知られています。
青島工場は1993年に開設され、タッチパネル類、携帯電話やゲーム機器用のスイッチ類、カースイッチ類を製造し、中国市場や海外向けに供給しています。スマホの押しボタンのスイッチに関しては、世界シェアの半分以上を占めるなど、私たちの身近なところでも大きな存在感を示しています。
パナソニックの中国事業は、日本企業としては珍しく思いきった「自主自立」を企業方針にしている点が特徴 です。技術開発から金型、製品の製造まで一貫した生産体制を確立すると ともに、中国のスピード感で判断できる現地裁量権を有することで、コロナ後も安定した利益率アップを実現しています。
現在、青島工場では一部の製造部門の他地域への移管を含む事業再編を行う一方で、導電性透明フィルム(商標名: Fine X)という新技術の二ーズ開発が進められています。この技術は既に、スキー用ゴーグルの曇り止めなどに実用化されていますが、世界的にはまだ開発の初期段階にあるとのことで、将来的には様々な分野への応用が期待されています。
ビッグネームに甘んじることなく、社員を大切にしつつ、人々の更に豊か な暮らしに向けて邁進を続けるその姿は、まさに「企業は社会の公器」と唱えた創業者・松下幸之助氏の経営理念を体現していると言えます。日本と当地の経済交流を深める上でも、その実践の様子を身近に実感することができ、大変有意義な経験となりました。青島パナソニックが今後も、日中経済交流のあるべき方向性を示す灯台役として、大きな存在感を示し続けてくれることを期待しています。


